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「反省して、福音を信ぜよ」とイエスは言った?

 昨日(3月6日)の説教で、一瞬、耳を疑うことが言われていました。説教者が「悔い改めとは反省です」と言われ、内心「アチャー」と脱力しました。 「もう勘弁してくれよ」という気持ちでした。 聖書の箇所(マタイ21:18-22)とは直接関係なく、どういう脈絡で出てきたかも覚えていないのですが、この理解は間違っている。 おかしな理解が広まってはたまらないので、あえて文章を記す次第です。 そもそも「反省すれば救われます...

「原因」とはよくわからないもののことである

 「批判(批評)する」とか「批判(批評)」という言葉には、悪い点を指摘して、攻撃するという理解がなされがちであるが、そうではない。 そもそも批評性とは何か。 批評性というのは「悪いのは誰だ?」という問いの形式で思考する習慣のことではない。 批評性というのは、どのような臆断によって、どのような歴史的条件によって、どのような無意識的欲望によって、私の認識や判断は限定づけられているのかを優先的に問う知性の姿...

リーダビリティとは?

 “readability”というものが最近、私が強く関心を寄せることの一つです。 それはどれほど字数の少ない文章を書く際にも常に強く意識していることでもあります。 時々、何人かの友人にも言われるのですが、私の記す文章は決して読みやすいものではありません(漢字が多いし、時々外国語も出てくる)。 けれども、それにもかかわらず、万人に開かれた「不可能な言語を夢見て」書かれているという点において、文化資本の排他的な蓄...

「聖人君子」の意味

 よく聞く言葉だけれど、意味が間違って理解されていたり、元々の由来を知らない言葉というのがあります。 「聖人君子」という言葉を、多分、多くの人は「清廉潔白で立派な人」という意味に理解しておられるはずです(時折、真面目に「聖人君主」と書いておられるのを見かけるが、正しくは「聖人君子」です)。  しかし、元々の言葉にそういう意味はありません。 由来元の『論語』を見ると、「君子」は知識・学問を修め、道徳的...

足がないのに浮足立つ?

 垂れ目の幽霊さんの教えてくれるネタは本当におもしろい。                ∧△∧               ::( ´∀`) コンニチハ                ノ つ つ               /   /               \/´  ↑見ての通り、足はありません。少し浮いています。目は垂れ目。  昨日も旅館ギコ屋で、のほほんと過ごしていたそうです。  受付カウンターの中にいる時、お...

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プロフィール

EMI Takashi(ヒソカ)

Author:EMI Takashi(ヒソカ)
2005年に神経性疾患を発病し、体調記録をつけるためにブログを始めました。そして、読書能力の回復に伴って、本のレビューを書くようになったものの、最近は時間を作れず、やや休止中でございます。

 数年前、出版社で働くようになりました。仕事そのものが面白く、その都度自分で課題を見つけて解決するというプロセスが楽しい。
 このブログでは、「扉の開いた」言葉を求めつつ、この世界に生きる一人の人間としてキリスト教・世界に対して疑問に思うことを考察していきます。単に評論家的な批評をするのではなく、自分でできることを示せるような、自分の持ち場に立った言葉を紡いでいきたいです。

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