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受洗者は罪人の共同体に属している

 マルコによる福音書3:35「神の御心を行う人こそ、わたしの兄弟、姉妹、また母なのだ」 ここを、「クリスチャンこそが神の御心を行う人だ。未信者もいずれクリスチャンになればそうなる」という話に持っていくクリスチャンがいる。 ある種のクリスチャンは「未信者」という言葉をためらいなく、あたかも自明なことのように口にする。 そこには、クリスチャンの自分とは違うというニュアンスがある。 本当にそうだろうか。自分...

「青年伝道」とは何ぞや?

 「青年伝道」という言葉があります。 しかし、そもそも青年に伝道せよと迫る言葉は聖書にあるのでしょうか。 それだけでなく、「青年」というハイカラな言葉で意味されている観念が聖書の時代にあったのかという疑問もあります(ちなみにこの言葉は、同志社第2代社長で、霊南坂教会を創設した小崎弘道が考案しました)。 よく引用されるのが、コヘレトの言葉12章1節の「青春の日々にこそ、お前の創造主に心を留めよ。苦しみの日...

召命と服喪儀礼

 第1コリント7章24節に基づいて、「召命について」というお話をしたい。 「兄弟たち。おのおの召されたときの身分のまま、神の前にとどまっていなさい」という聖句です。 エマニュエル・レヴィナス老師が教えるように、聖句の意味を知るためには、必ず前後の聖句を読まなければならない(この基本を体得していないクリスチャンが最近多い気がする)。 聖句の意味は文脈依存的だからである。 7章は性愛と結婚についての教えが書...

死すべき者となった後に「エバ(命」)と名付けられた女

 年下の友人と創世記について話していて、「そうだ」と膝を打ったことがありました。 エデンの園の中央には、善悪の知識の木と並んで命の木があるのを、私たちはあまりにも早く忘れてしまっていたのではないでしょうか。 2章9節で二つの木があることは明言されています。しかし、3章で命の木についての言及は全くない。 3章で、蛇が女に「善悪の知識の実」を食べるようにそそのかします。そこで、「蛇が狙っていたのは命の木の...

「荒れ野」ではどうふるまうべきか?

 5月30日(日)の礼拝前の青年聖研で、マルコ1:12~13を読んだ際、「荒れ野」の意味を教わった。 「荒れ野」という言葉を物理的な「砂漠」と考え、そこから渇いた心のメタファーであるという精神論的な解釈ももちろん可能だろう(これはわりとよく聞く解釈の一つである)。 しかし、「砂漠」という意味だけでなく、人の生活圏の周辺にある場所も意味すると教えていただいた。 そのことを確認して、私なりの解釈を述べてみたい。 1...

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プロフィール

EMI Takashi(ヒソカ)

Author:EMI Takashi(ヒソカ)
2005年に神経性疾患を発病し、体調記録をつけるためにブログを始めました。そして、読書能力の回復に伴って、本のレビューを書くようになったものの、最近は時間を作れず、やや休止中でございます。

 数年前、出版社で働くようになりました。仕事そのものが面白く、その都度自分で課題を見つけて解決するというプロセスが楽しい。
 このブログでは、「扉の開いた」言葉を求めつつ、この世界に生きる一人の人間としてキリスト教・世界に対して疑問に思うことを考察していきます。単に評論家的な批評をするのではなく、自分でできることを示せるような、自分の持ち場に立った言葉を紡いでいきたいです。

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