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わかりやすさの病

 わかりやすい答えや考えや言葉であることは、それらが信頼に足るものであることを保証しない。 しかし、多くの人はわかりやすさを求める。 実際、理解するのに時間のかかるものは敬遠される傾向にある。 その証拠に、売れる本の多くは、「即席本」である。 わかりやすい答えを性急に求める点では、クリスチャンも同様である。 しかも、「この世に倣ってはいけない」と言う人に、「世の価値観に倣った」方が多いのはどういう...

ミッションスクールの聖史的使命

 友人に何人かミッションスクール出身者がいる。 その中には教会で「洗礼」を受けた人もいればそうでない人もいる。 それを思いめぐらしていた時、ミッションスクールの聖史的使命とは何だろうかという問いが浮かんだ。 そこに通う生徒・学生が、いずれキリスト教会の「洗礼」を受ける人間になるように涵養することだろうか。 私はそうではないと思う。 そこで、愛神愛隣について記すことで、その問いに答えたい。 聴くべき...

地下鉄サリン事件から16年

 16年前の昨日、つまり1995年の3月20日に東京の地下で、オウム真理教による地下鉄サリン事件が起こりました。 この事件が宗教に対して投げかけた問いに、宗教者あるいは信仰者は答え得ていると言えるでしょうか。 キリスト者の私は、依然として問いを問いのままにしておくことしかできませんし、性急に答えの出せる問いでもないと考えております。 この事件について、あるいは信仰と社会との関係について考えるに先立って、ま...

信仰と疑い

 豊橋のkanegon牧師が、自身のブログで永田洋子死刑囚が獄中死したことに触れて、宗教や思想が自身を客観的に見ることを怠り、疑うことを忘れた時に暴走を始めるということを書いておられた。 それを読んで、「まさにその通り(アーメン)」と同意すると共に、思うところがあったので、これを奇貨として、簡単に「信仰と疑い」の関係について述べてみたい。 昨年、所属教会では、牧師交代のため、後任牧師を誰にするかという議論...

「家の墓はどうするんだ?」

 私はキリスト者ですが、家族の中でキリスト者は私一人です。 といって、何か不便を感じたことはありません。 他方、両親がいずれ入るお墓は曹洞宗のお寺にあります。 もちろん、それについて特に何か思ってはいません。  ところで、よくこういう話を聞きます。 一般的な家庭に育った人が、教会に通い、洗礼を受ける段になると、「それじゃあ、お前、家の墓はどうするんだ」と年配の方に言われることがあります。大抵、年配...

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プロフィール

EMI Takashi(ヒソカ)

Author:EMI Takashi(ヒソカ)
2005年に神経性疾患を発病し、体調記録をつけるためにブログを始めました。そして、読書能力の回復に伴って、本のレビューを書くようになったものの、最近は時間を作れず、やや休止中でございます。

 数年前、出版社で働くようになりました。仕事そのものが面白く、その都度自分で課題を見つけて解決するというプロセスが楽しい。
 このブログでは、「扉の開いた」言葉を求めつつ、この世界に生きる一人の人間としてキリスト教・世界に対して疑問に思うことを考察していきます。単に評論家的な批評をするのではなく、自分でできることを示せるような、自分の持ち場に立った言葉を紡いでいきたいです。

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