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今日、キリスト者であるとは?

 今日、キリスト者であるとはどういうことであろうか。 ディートリヒ・ボンヘッファーは『獄中書簡集 「抵抗と信従」』において、「われわれがキリスト者であるということは、今日ただ二つのことにおいて成立するだろう。つまり祈ることと、人々の間で正義を行うことにおいてだ」(新教出版社pp,346)。 この言葉は今なお、聞くべきことを語っている。日本において、今、キリスト者であるとはどういうことだろうか。 社会情勢は...

相談に乗ることの困難さ

 他者からよく相談を受ける人というのがいるかもしれない。 その際も、深刻な悩みは相談されず、やや個人的なものに留まるだろう。 深刻な相談事を一人で引き受けるのは危険であると、個人的な経験から推測する。 十分に訓練された人がチームであたるのが望ましい。 無論、守秘義務を厳守するのは当然であるが、一人で何もかも相談者のことを抱え込もうとすると、燃え尽きる可能性がある。 相談に乗るというのは、事柄が深刻...

罪の告白に関わる危険

 ディートリッヒ・ボンヘッファーのよく読まれた著書に『共に生きる生活』(新教出版社)というのがある。 その第5章は「罪の告白と聖晩餐」と題され、罪を告白することと、聖餐について述べられている。 罪の告白に際しての二つの危険がそこで述べられている。 これは、非常に大切なことであり、実際に私はその危険に落ち込んだことがあるので、どれほど危険であるかがよくわかる。 第一の危険は、罪の告白の聞き手に関わるも...

記事カテゴリ「信仰の成熟への道」

 この記事カテゴリでは、洗礼を受けてクリスチャンになったばかりの人、受洗してから数年経過した人、「自分の信仰生活・教会生活はこれでいいのだろうか」と疑問を感じておられる方を主な読者対象にするつもりです。 このカテゴリを作ろうと思ったきっかけはある体験に由来します。私がこれまで出会った「信仰歴の長い人」や「年上の信仰者」の何人かに、社会常識に欠け、幼稚なふるまいをし、「伝道」の名の下に他人を損なう方...

『ちいろばの心』

 榎本保郎・榎本恵『ちいろばの心』マナブックスを読了。 副題の「親から子 子から孫へ 手渡しの信仰」が本書の内容をよく表しています。ちいろば先生こと榎本保郎牧師の文章とその息子恵牧師の文章が交互につづられています。ゆっくりと味読すべき本と言えるでしょう。...

Appendix

プロフィール

EMI Takashi(ヒソカ)

Author:EMI Takashi(ヒソカ)
2005年に神経性疾患を発病し、体調記録をつけるためにブログを始めました。そして、読書能力の回復に伴って、本のレビューを書くようになったものの、最近は時間を作れず、やや休止中でございます。

 数年前、出版社で働くようになりました。仕事そのものが面白く、その都度自分で課題を見つけて解決するというプロセスが楽しい。
 このブログでは、「扉の開いた」言葉を求めつつ、この世界に生きる一人の人間としてキリスト教・世界に対して疑問に思うことを考察していきます。単に評論家的な批評をするのではなく、自分でできることを示せるような、自分の持ち場に立った言葉を紡いでいきたいです。

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