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日本人の無神論者はいるのか?

 日本人の無神論者はいない、と私は考えています。 少なくとも、「私は無神論者です」と表明する日本人は、本当に意味をわかって言っているのか、とても疑問です。 そう考える理由を、無神論というのがキリスト教社会の枠組みにおいて意味を持つ言明であることを述べ、そうした枠組みのない日本社会でそう言明することがどう見えるのかを考察することで示したいと思います。  無神論の反対は有神論と言います。ふつうこの「神...

『私家版・ユダヤ文化論』

 内田樹『私家版・ユダヤ文化論』文春新書を読了。 この本は、単なるユダヤ論ではない。自分と他者の理解を深める本です。 終章で著者は、「私家版」と銘打っている理由を、ユダヤ人問題について、できるだけ「わけのわからないこと」を書きたいと思ったからと記しています。というのも、「話のつじつまが合いすぎる」話は読み手にとっての印象が薄いからであり、記憶に残らないからです。私たちが容易に飲みこめないことを著者...

『後悔と自責の哲学』

 中島義道『後悔と自責の哲学』河出文庫を読了。 人間は過去を変えられないことを知りながら後悔をやめることができない。後悔とは、ある時点での自分の行為に対して、「そうしないこともできたはずだ」という根源的な思いであり、それはその時私は「自由であった」という思いとつながっています。そして、厳密に考えていくと、自由とは、自ら実現した過去の意図的行為に対して、「そうしないこともできたはずだ」という信念と共...

人生の理不尽を直視する

 人生とは残酷なものです。それは尽く理不尽です。 ある人がある性別で生まれ、裕福な家庭あるいは貧しい家庭に生まれ、美人あるいは不美人な容姿を持ち、特定の身長であり、また、ある人には多くの才能がある一方、他の人はそうではなく、彼は賢く私は愚かで、もうありとあらゆる不平等がこの世に生まれた段階であることが理不尽です。 特に、マイナスの価値を賦与されたものが多ければ多い人ほど、この不平等は抜き去りがたく...

理不尽を直視する者コヘレト

 旧約聖書の「コヘレトの言葉」(口語訳だと「伝道者の書」)の冒頭に、「なんという空しさ なんという空しさ、すべては空しい」という言葉があります。 ここだけを取り上げて、この文書はニヒリズムを語っているという人は、コヘレトをしっかり読んでいないことが明らかなので、真面目に相手にするには値しません。  確かにコヘレトの見方は悲観的です。 しかし、彼の見方はニヒリズムとは何の関係もない。 むしろ人間の置か...

Appendix

プロフィール

EMI Takashi(ヒソカ)

Author:EMI Takashi(ヒソカ)
2005年に神経性疾患を発病し、体調記録をつけるためにブログを始めました。そして、読書能力の回復に伴って、本のレビューを書くようになったものの、最近は時間を作れず、やや休止中でございます。

 数年前、出版社で働くようになりました。仕事そのものが面白く、その都度自分で課題を見つけて解決するというプロセスが楽しい。
 このブログでは、「扉の開いた」言葉を求めつつ、この世界に生きる一人の人間としてキリスト教・世界に対して疑問に思うことを考察していきます。単に評論家的な批評をするのではなく、自分でできることを示せるような、自分の持ち場に立った言葉を紡いでいきたいです。

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