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生存戦略上の利器としての嫌悪と恐怖

 人を好きになることについての書物はウンザリするほど巷にあふれていますから、今さら私が何かを付け加えることはありません。 むしろ、私は反対のことを記したい。それは「嫌いな人とのつきあい方」についてです。  嫌いな人とは付き合わない、というのが私から、嫌いな人に悩まされている人に贈るアドバイスです。  時折、申し上げることですが、そばにいるだけで疲れる人、こちらの生命エネルギーが枯渇してくる人というの...

時間は非空間的表象である

 私たちは、時間を空間の表象形式で考えることに慣れています。 例えば、私たちは生を左右両極端に引かれた線と考え、一方の極に死亡による否定、他方の極に誕生による肯定を配置したシムメトリーとして生を考えます。 「しかし、生とは時間です。時間を空間の中に並べて見ることはできません。時は一刻一刻生きられるのです。一刻が生きられたとき、その一刻はもうありません。死の時がやってきたとき、生の時はもうはるか以前...

Lose=Lose solution

 法理と現実のあいだに乖離がある場合、その乖離を埋めることができるのは固有名を名乗る人間がその「生身」を供物として差し出す場合だけです。  川島武宜先生は「生身」を差し出すことによる「ソリューション(解決策)」の代表例として河竹黙阿弥の『三人吉三廓初買』の「庚申塚の場」を挙げています。  お嬢吉三という悪党が夜鷹を殺して百両を奪う。それを目撃して、「その百両をよこせ」と強請るのがお坊吉三。二人が刀を抜...

ドキドキするのがクリスチャン

 ジャンセニストは私たちの霊が死後に救済に与るかどうかは「不可知」であると教えます。本当のところよくわからんということです。  私たちがどれほど生前に善行を積んでも、それによって救済の成否が変わるということは起こりません。なぜなら、善行を行えば天国に行けるのなら、私たちは「天国の鍵」を開け閉めする権利を保有していることになるからです。  これほど神を蔑する考え方はない。  だから、生きている間、キリ...

聖書は人生のマニュアルか?

 教会に行くようになってからどうにも気になってしょうがない聖書の読み方というのがあります。 それは聖書を、人生をどう歩めばよいかを示したマニュアルとして読む読み方です。  しばしば私たちは、判断がむずかしいけれど判断を下さないとまずい状況というのに遭遇します。 そういう時に、自分の選んだ道が正しいというお墨付きを与えるものとして聖書を読む人に、何度か遭遇しました。  えてしてそういう時は、文脈を考慮...

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プロフィール

EMI Takashi(ヒソカ)

Author:EMI Takashi(ヒソカ)
2005年に神経性疾患を発病し、体調記録をつけるためにブログを始めました。そして、読書能力の回復に伴って、本のレビューを書くようになったものの、最近は時間を作れず、やや休止中でございます。

 数年前、出版社で働くようになりました。仕事そのものが面白く、その都度自分で課題を見つけて解決するというプロセスが楽しい。
 このブログでは、「扉の開いた」言葉を求めつつ、この世界に生きる一人の人間としてキリスト教・世界に対して疑問に思うことを考察していきます。単に評論家的な批評をするのではなく、自分でできることを示せるような、自分の持ち場に立った言葉を紡いでいきたいです。

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