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「兄弟姉妹」って誰のこと?

 前にもメモ的に記したが、教会でいう「兄弟姉妹」とはどこまで入るのだろうか。

 礼拝は万人に開かれているもののはずだ。

 そこで、「愛する兄弟姉妹と共に礼拝に招かれたことを感謝します」と口にするとはどういうことだろうか。

 その「兄弟姉妹」とは教会員のことか。あるいはそこに集ったキリスト者全員のことか。

 もしそうならば、そこにいるノンクリスチャンには居場所がないということになりはしないか。

 なぜ神が招いた人々を排除するような言い回しをするのか。

 繰り返す、礼拝における祈りで「兄弟姉妹」と口にするとはどういうことか。

 そこにはどれほどの切実さがあるのだろうか。

 しかし、キリスト者がほかのキリスト者との交わりの中に生かされていることは決して自明のことではない。

 また、この表現が「キリスト者」に限定されたものであるならば、そんなのは「祈り」ではないし、「アーメン」と唱和することもできない。

 そういう人は「伝道」について語ってはいけない。

 壁をつくる言葉を無邪気に口にする人が考えているのは、「伝える」ことではなく、相手を教化することだ。

 そういういろいろな問いが渦巻くようになって以来、「兄弟姉妹」と口にすることができなくなったし、他人から言われるのも嫌になってしまった。

 「敬愛する○○兄」と教会ではよく聞くが、「敬愛してないだろ」と言いたくなってくる。もしその人に対して本当に敬愛の念を抱いているならば、それにふさわしいふるまいをするはずだ。

 例えば、ちょっと意見や考え方が異なるぐらいで、「教会出てけ」と口にするなどあり得ないはずだ。

 だから、実際には敬愛などしていないのだ。

 しかし、「祈り」の言葉に嘘を入れるとは、それこそ神を蔑する行為でなくて何だろう。

 ところで、改めて指摘するが、キリスト者と非キリスト者の間に有意な差異はない。

 この言明に驚く人とは、キリスト者の自分と非キリスト者の他者の間には歴然とした差異があると考える排他的な人だ。

 しかし、「救い」を自らの力で獲得したのではないにもかかわらず、なぜこのような線引きができるのか、私にはよくわからない。

 もし「兄弟姉妹」という言葉を口にするとしたら、そのような「壁などないのだ」という響きを帯同したものとして口にされるべきではないだろうか。

 問いは尽きない。

 問いは尽きないから、この言葉は軽々に口にできない。
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プロフィール

EMI Takashi(ヒソカ)

Author:EMI Takashi(ヒソカ)
2005年に神経性疾患を発病し、体調記録をつけるためにブログを始めました。そして、読書能力の回復に伴って、本のレビューを書くようになったものの、最近は時間を作れず、やや休止中でございます。

 数年前、出版社で働くようになりました。仕事そのものが面白く、その都度自分で課題を見つけて解決するというプロセスが楽しい。
 このブログでは、「扉の開いた」言葉を求めつつ、この世界に生きる一人の人間としてキリスト教・世界に対して疑問に思うことを考察していきます。単に評論家的な批評をするのではなく、自分でできることを示せるような、自分の持ち場に立った言葉を紡いでいきたいです。

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