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『西洋が西洋について見ないでいること 法・言語・イメージ』

西洋が西洋について見ないでいること  ---法・言語・イメージ [日本講演集]西洋が西洋について見ないでいること ---法・言語・イメージ [日本講演集]
(2004/09/30)
ピエール・ルジャンドル、森元 庸介 他

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 ピエール・ルジャンドル(森元庸介訳、西谷修解題)『西洋が西洋について見ないでいること 法・言語・イメージ』以文社、2004

 本書には二つの論考と、2003年に日本の三つの場所(10月26日東京外国語大学、10月27日東京日仏会館、10月30日国立民族学博物館)で行われた講演が収録されている。三つの講演はそれぞれ別のものであるが、ルジャンドルの仕事は日本でほとんど知られていないので、講演は一連のものとして行ってほしい、また日本の聴衆が彼の仕事を知らないことを前提に、三回の講演を通してドグマ人類学のエッセンスとそのアクチュアルな意味が伝わるような形で話してほしいと招聘者は要望した。この要請に、ルジャンドルは誠実に応えている。

 本書全体を通じて、四半世紀にわたる研究の上に立って、ルジャンドルはドグマ人類学の中心的課題を論じていく。すなわち、ルジャンドルは、現在の「世界化」状況のなかでいま一度、「普遍的」として通用している西洋的知や組織原理の成り立ちを問い質し、全てを知り支配するのを当然のこととするそのドクサの開く視野が、実はどのような盲目に裏打ちされているのかを洗い出して、西洋的知や制度の歴史的・構造的特殊性と、それゆえに果たされた「世界の改造」の大筋を描き出す。それと同時に、そこに孕まれる「盲目」の全面化が「人間という種」にもたらす危機を強く示唆し、ことばを付与された生き物たる人間にとって文化とは何なのか、そしてアイデンティティの成り立ち、つまり個々の人間の他者との関係の(における)定位とは何かという、生きる人間にとっての変わらぬ問いを確認することで、西洋的科学主義が見失わせる人間の「理性」、人間の生を可能にするものとしての「理性」のありかを示そうとする。

 知を分化し、同時に対象を分断することで威力を発揮してきた西洋的な認識のあり方そのものを、その由来と原理を明らかにすることで、ドグマ人類学は相対化しようとする。そしてこの学問は、近代以降の知がそれを否認することで自らの「合理性」を築いてきた「ドグマ的現象」を掘り起こし、そこに目を向けようとする。例えば、書名と同じタイトルを持つ第一講演では、人間という種の個別的な一バージョンに過ぎない「西洋」を、アイデンティティの問題において考察している。タイトルが示唆するように、そこでは西洋が西洋自身について見ないでいること、もはや見なくなってしまって、知らずにいることが何であるかを探ると同時に、西洋が西洋という位置を出発点とするときに、つまり自身の<テクスト>、その歴史的なシステムから出発するときに見ないですませていることを探っている。西洋は、超近代の今日にあってさえ、ある特定の語りの因果性のイメージ、すなわちユダヤ=キリスト教の語りのうちにみずからの<祖先>を見出している。

 ドグマ人類学において問われているのは「人間とは何か」ということである。但し、これは本質についての問いではない。この問いに含まれるのは、まずは人間が自らをどのようなものとして表象するかということである。まさにこの問いは人間の自分自身への問いであり、人間にとっての「アイデンティティ」の問いなのである。そしてここでは、人間のアイデンティティが問われるだけでなく、人間にとっての「アイデンティティ」とは何かが同時に問われている。それを「理性」の問いと言い換えることもできるだろう。というのも、人間が、自分とは何か、どのように可能なのかを完全に見失う時、もはや人間は「狂気」の領域に陥るからである。

 そして、ルジャンドルによれば、いま人類は、世界に広まった西洋的知のシステムと制度性の採用によって(日本もこれの影響下にある)、この「狂気」の領域に足を踏み入れつつある。それを推し進めているのは、「マネージメント」に行き着いた西洋的組織原理であり、それと連動する知の科学主義的傾向である。ドグマ人類学とは、このような事態への根源的批判を使命とする、「理性の探求」の試みなのである。

 ルジャンドルは、歴史は積層的であるという。地面を掘り起こし、下の地層に何が抑圧されているのか。それを探求しないままでは、現代の世界の「狂気」について、真に言うべきことは言えない、読後、そんな印象を抱いた。
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プロフィール

EMI Takashi(ヒソカ)

Author:EMI Takashi(ヒソカ)
2005年に神経性疾患を発病し、体調記録をつけるためにブログを始めました。そして、読書能力の回復に伴って、本のレビューを書くようになったものの、最近は時間を作れず、やや休止中でございます。

 数年前、出版社で働くようになりました。仕事そのものが面白く、その都度自分で課題を見つけて解決するというプロセスが楽しい。
 このブログでは、「扉の開いた」言葉を求めつつ、この世界に生きる一人の人間としてキリスト教・世界に対して疑問に思うことを考察していきます。単に評論家的な批評をするのではなく、自分でできることを示せるような、自分の持ち場に立った言葉を紡いでいきたいです。

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