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『逆さの十字架 La Cruz Invertida』

逆さの十字架逆さの十字架
(2011/06/25)
マルコス・アギニス

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 マルコス・アギニス(八重樫克彦・八重樫由貴子訳)『逆さの十字架 La Cruz Invertida』作品社、2011(1970)

 本書はアルゼンチンの作家アギニスのデビュー作で、果敢にも軍事政権下のアルゼンチンで執筆された。また、スペイン・プラネータ賞受賞作品でもある。

 舞台は1960年代の南米、主人公は若き司祭カルロス・サムエル・トーレス神父である。ヨーロッパ留学後、自意識に目覚めた彼はキリストに倣い、自分の育ったラテンアメリカの弱く小さくされた人々と共に歩もうと奮闘するが、理想と現実のギャップに悩む。ラ・エンカルナシオン教会を幅広い対話の場としたため(1960年代の南米の教会で、共産主義者も交えて議論することの意味を想起されたい)、政府当局だけでなく、司教からも睨まれる。他には、トーレスのよき理解者で辺境での布教活動の実績のあるアウグスティン・ブエナベントゥーラ神父や、共産主義者とその娘、娼婦、ごろつき、学生運動に加わる大学生、サディスティックな陸軍大佐といった人々が出てくる。

 この本は、クリスチャンかどうかを問わず、聖書に親しむ全ての人に勧めたい。特に、教会で躓き、疑問を覚えた人、また「聖書に書かれていることと教会やクリスチャンが言うことは違うではないか」という疑問の消えない人にとっては、とても刺激され、慰められる本だろう。私は、本書を読んで大いに溜飲を下げた。

 自分たちは救われていると思い上がり、ノンクリスチャンを救われていない人々と見下し、宗教儀礼や教会の奉仕には熱心な反面、この世の様々な悪に目を塞ごうとする「信仰深い」クリスチャンは、大祭司カイアファやファリサイ人や律法学者そのものだ。それはキリストに倣おうとするトーレス神父を、教会の秩序を乱す者と糾弾し教会裁判にかける人々と同じである。しかし、キリストはそんな宗教者や政治家と戦ったがために殺されたのではなかったか。冒頭でトーレス神父が言うように「十字架は弾圧の象徴」である。「十字架上のイエスは搾取する側への非難の表明、残忍な支配制度に対する抵抗」なのだ。

 そして、ぐいぐいと読ませる本書は、「文学それ自体が抵抗」ということの見事な例証である。著者はペンで文字通り「剣」と戦っている。人々が織りなす人間ドラマやそこに映し出される社会の病は、決して本書の背景としてある南米だけのことではない。現代の日本とも重なり、とても遠い国の出来事と捨て置ける内容ではない。読む者が他人事ではなく、自分の問題として対峙でき、内省を促すことができるという点も、プラネータ賞受賞に至った決め手の一つであったろう。これは単に1960年代のラテン・アメリカの話というだけではない。現代の日本の話でもある。

 キリストが時の政治権力(ヘロデ)と宗教(大祭司カイアファ)と帝国主義(ピラト)という三者によって迫害され、十字架刑で殺されたように、教会生活を粛々と営むことから脱け出て、この世に目を向け、徹底的にキリストに倣って歩もうとする人は、「キリストを信じる」ことを標榜する当の教会から「神の名」によって弾圧される。そのような例は歴史に数限りなくある。そして、二人の神父が終盤に受ける「教会裁判」は解放の神学と法王庁との関係や、改革派聖職者の殉教を予感させる。

 著者自身が作中のトーレスのように闘ってきた人だ。「クリスチャンは闘いをするべきではない」という人は、聖書をまともに「読めて」いない人だ。抑圧や搾取に対して神が預言者を通して厳しく非難したように、石工や収税人や娼婦のように社会の底辺に生き、罪人とみなされていた人たちの味方に立って、時の政権や宗教者を厳しく批判したイエスのように、アギニスもまた言葉で闘う。実際、彼は本書を出す際にも多くの困難をしたと察せられるが、他の本を出版する際にも、身の安全は保障できないと通告されたこともある。誇張でも何でもなく、彼は言葉に命を賭けている。明晰で鋭敏な言葉だ。

 各節には時折、聖書諸文書の名称が付加されている。1節「創世記」、4節「トーレス神父の苦悩Ⅰ≪伝道の書≫」、40節「神父たちの挑戦Ⅴ≪イザヤ書≫」といった具合だ。最後の78節は「時代の黙示録」とある。このことから、旧新約聖書66巻を拠り所とする本書もまた、現代の一断面を描く一つの「聖書」であることを著者は示唆している。つまり、歴史における様々な人間ドラマを貫いて、神がその歴史に現臨しているという聖書の物語だ。それは、小さくされている人々の側に立つ神の物語である。
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プロフィール

EMI Takashi(ヒソカ)

Author:EMI Takashi(ヒソカ)
2005年に神経性疾患を発病し、体調記録をつけるためにブログを始めました。そして、読書能力の回復に伴って、本のレビューを書くようになったものの、最近は時間を作れず、やや休止中でございます。

 数年前、出版社で働くようになりました。仕事そのものが面白く、その都度自分で課題を見つけて解決するというプロセスが楽しい。
 このブログでは、「扉の開いた」言葉を求めつつ、この世界に生きる一人の人間としてキリスト教・世界に対して疑問に思うことを考察していきます。単に評論家的な批評をするのではなく、自分でできることを示せるような、自分の持ち場に立った言葉を紡いでいきたいです。

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