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絶えず回帰する<非人間性>

 何気なく開いたレヴィナスの『諸国民の時に』のあるページにこんなことが書いてあった。

 「倫理から釈義へ」という題で、「ヌーヴォー・カイエ 1982年、82号」に発表され、『聖句の彼方』の内容を敷衍している。目に留まったのは最後の文章である。少し長いが引用しよう。


 ふとした隙をねらうかのように、<非人間性>は否定と憎悪と遺棄を待ち設けている。<非人間性>はたえず回帰する。それは、「平和の時」と称され、「平和の時」たらんとする世紀末の時代の悲愴な宿命である。永遠に今日がつづくかのように日々くり返される、この現前の時間。近代性と呼ばれている、生成のこの共時性。何百万という失業者の存在にもかかわらず、「仕事」と「ヴァカンス」が交替をくり返している。このような現前と共時性はまた、予見可能なものと希望が計画可能なもののうちに現前することでもあるが、計画可能なもののうちでは、理性をはみだすことなき存在が、単に人間に満足を与えるためだけのものと化してしまっている。このような時間、それは万事が可能であり、一切の可能事が許されているような時間にほかならない。しかし、かかる時間はまた、勝利に酔った破壊的な技術を駆使する輝かしい科学の未来がすでにして投げかける恐るべき影と、忘却を拒む過去との狭間にあって、見誤られた時間でもあるのではなかろうか。忘却を拒む過去。それは二十世紀の二つの世界大戦と収容所の過去であり、<強制収容>と<死>の過去である。それは、アドルフ・ヒトラーのものとでのイスラエルの受難という過去なのだ。(エマニュエル・レヴィナス(合田正人訳)『諸国民の時に』法政大学出版局、1993(1988)、pp,188-189)


 今の日本の状況と重ね合わせざるを得ない。

 レヴィナスが「平和の時」とかっこで表記している理由は説明するまでもないだろう。

 彼の言葉には、エレミヤ書6章14節や8章11節の「彼らは、おとめなるわが民の破滅を手軽に治療して 平和がないのに「平和、平和」と言う」という言葉が反響している。

 「平和の時」とは、「勝利に酔った破壊的な技術を駆使する輝かしい科学の未来がすでにして投げかける恐るべき影と、忘却を拒む過去との狭間にあって、見誤られた時間でもあるのではなかろうか」とレヴィナスは問う。

 この問いをしかと受け止めたい。

 間違っても、「レヴィナスなら今の日本や世界について何と言うだろうか」と死者を呼び出すのはやめよう。

 それは、ナチスに殺された人々に献呈した『存在するとは別の仕方で、あるいは存在の彼方へ』を書いた人の意に背く行為である。

 死者を呼び出し、生者の代わりに語らせてはならない。

 それは、彼らの眠りを覚ますことである。

 言い換えればそれは、「私は死者をどう弔うのか知っている」という身振りである。

 これほど不遜な弔いについての考えがあろうか。

 弔いの豊かさは、「死者をどう弔ってよいのかわからない」という不能の内に存する。

 自分の親しい人が本当に死んだのか、生存したが連絡が取れなくなっているだけなのか、その狭間で苦しんでいる人々がいる。

 何とか割り切って「死亡」扱いの手続を取る人もいれば、割り切れない人もいる。

 いや、その手続をした人も、家に帰れば、「死者」の残り香を感じてしまい、結局、片付かない思いが消えることはない。

 けれども、そんなことには目もくれず、マスメディアの紙面に踊り、人口に膾炙するのは、「がんばろう日本」「がんばろう東北」「上を向いて歩こう」「明るい日本」「前向きに」といった言葉ばかりだ。

それは見るべきことからあまりに性急に目を逸らす逃避の言葉だ。

 私はそんな言葉に同調しないし、口にもしない。

 生きている私は、忘却と逃避を断固として拒絶する。

 私は、「傷ついたところのない世界」を望む。

 そのためにどれほど迂遠であろうと、できることをする。

 それは、学び、調べ、読み、書き、働き、考え、歌い、踊ることだ。

 人の命を、人生をゴミのように扱う世界、私はそんなものを望まない。

 そこから出てくる言葉遣いも拒絶する。

 むしろそうでない言葉を求め、語っていかなければならない、そう感じる。
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EMI Takashi(ヒソカ)

Author:EMI Takashi(ヒソカ)
2005年に神経性疾患を発病し、体調記録をつけるためにブログを始めました。そして、読書能力の回復に伴って、本のレビューを書くようになったものの、最近は時間を作れず、やや休止中でございます。

 数年前、出版社で働くようになりました。仕事そのものが面白く、その都度自分で課題を見つけて解決するというプロセスが楽しい。
 このブログでは、「扉の開いた」言葉を求めつつ、この世界に生きる一人の人間としてキリスト教・世界に対して疑問に思うことを考察していきます。単に評論家的な批評をするのではなく、自分でできることを示せるような、自分の持ち場に立った言葉を紡いでいきたいです。

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