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『人生の色気』

人生の色気人生の色気
(2009/11/27)
古井 由吉

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 古井由吉『人生の色気』新潮社、2009

 6回にわたって、色気と文学と社会のことを語る。人々の生から色気がなくなったと著者は言う。例えば、通夜やお葬式の席で、男に色気のなさを感じるという。つまり、お焼香の姿がサマになっていないのだ。不祝儀の場の振舞いに男の色気は出る。喪服を着て、お焼香して、挨拶して、お清めして帰ってくるだけのことが、いまの男は、なかなかサマにならないという。己の身のこなしを省みたくなる。儀式の場などでは、肉体が純化される時がある。その時、人の性的な部分もはっきり現れる。男女問わず、そうした場での振舞いがむさいと、まことに色気のない社会になってしまう。「言葉の中にも、振舞いや身のこなしの要になるような何かが、すとんと落ちるような形で隠されていて、その場所に気づいて粘るか、すぐに逃げ出すかで、だいぶん違う」。

 色気は人生における単なる飾りや香辛料ではない。むしろ、生の根本に関わるものだ。だから、文学が取り上げてきたのだ。また、色気はアナーキーな危うさを孕む。「いまどき、男女が本気になって交わるというのも、アナーキーかもしれませんよ」と著者は言う。それは、今の社会では逸脱として排除されてしまう営みであることを示唆している。しかし、危険や不気味さのない色事にどんな面白さがあるというのか。

 昨今の風潮は自分が理解できるものにのみ価値を認め、自分と感性の合う人とだけ仲良くなろうとするものゆえ、アナーキーなものは排除されてしまう。そこには、違和や特異の入る余地がない。よって、エロスや文学の生まれる余地もない。そういう意味で、今は、文学がむずかしくなった時代だ。そして、だからこそ、自分の小説は今の人からするとわかりにくいのではないかと著者は率直に吐露される。

 己の理解できないものを拒むという時代思潮に加えて、著者の本が今の人にわかりにくいのは、携帯電話の出てこない小説という点にある。そのことに関連して、著者は、日本近代小説は携帯電話があったら成立しないと指摘する。携帯電話があれば、ほとんどの問題は解決されてしまうからだ。そこには「待つこと」「待ちきれなさ」「もどかしさ」の入る余地がない。むしろ、そんなことは「無駄」と切り捨てられる。しかし、そこにこそ色気は生まれるのではないか。

 待てなくなった別の理由は、今の風潮が、時間をお金に換算する価値観に基づくからだ。1970年頃まで、人は普段の時間をあまりお金に換算しないものだったと著者は指摘する。しかし、最近はそうではない。その風潮からすれば、読書という行為ほど無駄なものはない。言い換えれば、今の時代は、本を読むことが経済行為の中でどういう意味を持つのか、はっきりしない時代なのだ。そうかといって、著者は本を読み書くことをやめるわけではない。むしろ、そのような時代思潮に染まらず、蚊帳の外から物を見てきて、バブルの御利益を被っていなかったからこそ、70過ぎまで作家として生き延びてきたのだろうと言われる。

 このことは、本を読み書くことは、知識を得るとか消費するといったこととは別のことに駆動される営みであることを示唆している。もし知識の習得や消費ならば、文学が危険な営みとされることはなかっただろう。しかし、本を読み書くことはもっと危険で、アナーキーで、エロティックな行為だ。違和や特異を積極的に求める営みだ。そういう意味では、わかりやすい営みではなく、あれかこれかにきっちり分類できる営みでもないと言えよう。文学は反時代的営為である。

 だから、最後の第六章で「文学者はあらかじめアナーキーの境に住んでいる番人」であり、あの世とこの世を媒介する役割を担っていると著者は言うのだ。こんな指摘は、現代社会では笑われてしまうものだろう。けれども、なぜ昔の祭祀に詩人や劇作家が欠かせなかったのかを教えてくれる。そして、著者は「生死の境のアナーキーな場所に留守居する役割」を遂行することによって、銭をもらうのが作家であり、まともな人は、こんなことをやらないと言う。

 そう、読み書くことは狂気の営みである。「文学という営みは、理解できるかどうか、問いかけてはいけないもの」なのだ。実際、文学にはうっかり理解したら大変だという作品が多い。読んでいて感銘は受けるけど、読み終わると忘れるというのは、自然な自己防御だ。読んでもちっとも頭に入らないけれど、なんとなく嫌な感じがするという心地、それが読書の醍醐味なのだ。

 著者は、作家の信条として、言葉に仕える、なるべく丁寧に言葉を綴るというやり方をしてきたと言う。「書く現場の主人公は、書き手ではなくて、言葉の方です。文章に苦労するのも、自力でいい文章を書くための努力ではなく、言葉を通して、その内側に広がる別の世界とつながるために、励んでいるわけです」。このストイックさが色気を与えるのだ。
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プロフィール

EMI Takashi(ヒソカ)

Author:EMI Takashi(ヒソカ)
2005年に神経性疾患を発病し、体調記録をつけるためにブログを始めました。そして、読書能力の回復に伴って、本のレビューを書くようになったものの、最近は時間を作れず、やや休止中でございます。

 数年前、出版社で働くようになりました。仕事そのものが面白く、その都度自分で課題を見つけて解決するというプロセスが楽しい。
 このブログでは、「扉の開いた」言葉を求めつつ、この世界に生きる一人の人間としてキリスト教・世界に対して疑問に思うことを考察していきます。単に評論家的な批評をするのではなく、自分でできることを示せるような、自分の持ち場に立った言葉を紡いでいきたいです。

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