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『肝心の子供』

肝心の子供肝心の子供
(2007/11/16)
磯崎 憲一郎

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 磯憲一郎『肝心の子供』河出書房新社、2007

 これは、ブッダ、束縛という意味の名を持つ息子ラーフラ、孫のティッサ・メッテイヤという三世代にわたる物語である。但し、伝記ではない。ブッダの教えや伝記的記述を期待しない方がよいだろう。

 また何か大きな事件が起きるというのでもない。確かに、ブッダの出家と悟り、それにうち続く教えの展開は歴史上の大事件である。加えて、ラーフラの誕生と出家も、その息子ティッサ・メッテイヤが他の子供と異なる内面世界を持っていたことも、個人史という観点から見れば大事件かもしれない。しかし、これみよがしにそれらのことが描かれはしない。時間は早く動きもせず遅く動きもしない。単純に即物的で周期的な、日々進行していく時間そのものだけがある。

 「肝心の子供」とは誰のことか。何のことか。タイトルを気にしつつ、読み進める。読みやすい。読みやすいのはなぜだろうか。おそらく、身体に響く言葉のためである。身体になじむ言葉だ。

 ブッダが出家した後、妻のヤショダラはブッダのことを思い出す。既に彼はいないはずなのに、彼の肉体は自分たちの身近にいるように感じられる。しかし、すぐにそういうことではないとヤショダラは思い直す。それでも、確かな手応えのようなものを感じる。なぜか。それは、「同じ空間のなかで長い時間を共に暮らすということはただそれだけで、言葉など交わさなくとも、お互いの心のなかに何かをかたち作ってしまうものだ」からである。このことは、考えるより先に、身体で「そうだ」と頷けることではないだろうか。夫婦の関係だけでなく、親子や家族、また「同じ空間のなかで長い時間を共に暮らす」関係を経験した人ならば、よくわかるのではないだろうか。

 壮大な作品である。しかし、その壮大さを私は十分につかみ得ていない。ただ、壮大さを感得するだけである。言葉の震え、それを味わいたい。
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プロフィール

EMI Takashi(ヒソカ)

Author:EMI Takashi(ヒソカ)
2005年に神経性疾患を発病し、体調記録をつけるためにブログを始めました。そして、読書能力の回復に伴って、本のレビューを書くようになったものの、最近は時間を作れず、やや休止中でございます。

 数年前、出版社で働くようになりました。仕事そのものが面白く、その都度自分で課題を見つけて解決するというプロセスが楽しい。
 このブログでは、「扉の開いた」言葉を求めつつ、この世界に生きる一人の人間としてキリスト教・世界に対して疑問に思うことを考察していきます。単に評論家的な批評をするのではなく、自分でできることを示せるような、自分の持ち場に立った言葉を紡いでいきたいです。

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