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『石原吉郎 詩文学の核心』

石原吉郎 詩文学の核心石原吉郎 詩文学の核心
(2011/05/25)
柴崎聰

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 柴崎聰『石原吉郎 詩文学の核心』新教出版社、2011

 1972年に著者は、詩人の森田進が訪ねてきた際に石原吉郎の詩集を紹介された。すぐに石原の詩に魅了された著者は、編集者として石原吉郎に会いに行った。その後、二度の電話が石原からあり(それは聖書箇所を尋ねる内容であった)、その二度の電話を契機として、「石原吉郎とキリスト教」「石原吉郎と聖書」という主題が浮上してきたという。そして、この主題の下で石原の作品を探索してみると、キリスト教や聖書の影響が極めて大きいことがわかってきた。その成果が本書である。

 石原詩への解釈・評論の大半は、シベリヤ体験の視点からなされてきた。このことについて、「詩人石原吉郎とキリスト教について、まとまった解明・論評は、いまのところほとんど現れていない。彼について語る詩人や評論家は少なくないにもかかわらず、なぜか多くは避けて通っていく感じさえする」(『石原吉郎の詩の世界』)という詩人の安西均の嘆きの言葉を著者は紹介している。石原吉郎と聖書・キリスト教との関係を論じたものが少ないのは、石原の読者に、聖書やキリスト教に通暁した人がいなかったためである。そういう背景を考慮すれば、キリスト教や聖書を踏まえて、石原吉郎の作品を研究した本書の刊行には重要な意義がある。

 ところで、石原作品は、信仰をもったキリスト者なら誰でも理解可能だろうか。多分、そうではない。石原が所属していた信濃町教会の池田伯牧師は、石原の信仰をこう要約している。「キリスト教信仰は本来、自らをも含めて一切の偶像化を拒否するところに根をもっている。そして信仰者に避け難く襲ってくるのは自分は神を信じているのか、神についての観念、すなわち偶像化された「神」を信じているのか、この差し迫った問である。石原さんはこの問を、紛れの中に解消することに注意しながら、まともに背負ったと思う。これは「虚無」を痛く体験しつつでなければ不可能な営為である」と。続けて、「神と虚無とは表裏である」と言う。これを踏まえて、著者は「石原の信仰は、安心と畏敬の間を揺れ動いている」「信と不信は紙一重であることを石原は肝に銘じている」と克明に指摘する。

 石原のように徹底的に言葉に仕え、またヤボクの渡しにおいて神と格闘したヤコブのように、聖書と格闘した人ならおそらく石原の詩が語る深い慰めを聴き取れるだろう。いや、キリスト者に限らず、他宗教の信仰者であっても、言葉に鋭く注意し、自分自身の信仰を絶えず問い続けている人ならば石原の叫びを聴き取れるはずだ。

 「認識と信仰のはざま」で揺れ続け、「信と不信の間」で揺れ続けた石原は、信仰の根底にある無神論に耐え得た人だ。石原は常に聖書と、言葉と格闘した。繰り返し聖書を読んだ。本を読むとは読み替えることだ。しかし、読み替えるとは、書いてあることが「信じられない」ということである。書いてあることを信じ、一方で信じられない、このはざまで揺れ続けることをしてきたからこそ、石原の詩に断定の魅力が備わったのではないか。著者が指摘するように、石原詩の魅力は、断定の魅力だ。例えば、第一詩集『サンチョ・パンサの帰郷』の最初の詩「位置」にも、それは明瞭である。

 石原の同時代人で、フランスの哲学者エマニュエル・レヴィナスは、「一神教は、疑念、孤独、反抗の年齢に達していない者には不可能なのです」(『困難な自由』)と言い、無神論の危険を冒すことなくして、真の信仰にはいたりえないと言う。そのような信仰から出てきた詩に深い慰めを見出す読者とは、石原同様に、常に言葉を鍛錬し、また己の信仰にいくばくかの不安を常に抱いている者であろう。換言すれば、それは「あてどなさ」と「よるべなさ」と表現できよう。石原は、己の生き方や詩に確信を抱いていたわけではない。一歩先は見えなかった。しかし、こうでしかあり得ないという歩みを石原はした。その戦いの軌跡に敬服する。
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EMI Takashi(ヒソカ)

Author:EMI Takashi(ヒソカ)
2005年に神経性疾患を発病し、体調記録をつけるためにブログを始めました。そして、読書能力の回復に伴って、本のレビューを書くようになったものの、最近は時間を作れず、やや休止中でございます。

 数年前、出版社で働くようになりました。仕事そのものが面白く、その都度自分で課題を見つけて解決するというプロセスが楽しい。
 このブログでは、「扉の開いた」言葉を求めつつ、この世界に生きる一人の人間としてキリスト教・世界に対して疑問に思うことを考察していきます。単に評論家的な批評をするのではなく、自分でできることを示せるような、自分の持ち場に立った言葉を紡いでいきたいです。

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