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『不可能』

不可能不可能
(2011/06/22)
松浦 寿輝

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 松浦寿輝『不可能』講談社、2011

 1970年11月25日、この日、一人の作家が死んだ。この出来事の意味をまだ問い続けている者に差し出された、これは一つの物語である。

 とはいえ、「この作品の意味は何か」とか「この小説のテーマは何か」と問うのはおそらく間違った問いだ。それが苦もなく言えてしまうなら著者はこの本を書かなかっただろう。そうではなく、仮構という迂回を通して、平岡という一人の死者、生の時間が流れていない一人の人物の言葉と行いを物語ることで、どんな困難を著者は乗り越えようとしているのか、それを問うべきなのだ。

 主人公の平岡は、死者である。彼に時間は流れていない。彼の傍には生命の脈動が感じられない。彼の家には、石膏で作られた彫刻がある。それを作った人も、どこの誰ともわからない、存在感の薄い青年である。固有名詞として出てくるのは主人公だけであり(しかしフルネームではない)、他の人物はイニシャル(S…君とかG…君など)か、主人公が命名した便宜的な名前(「大尉」「作家」など)か、肩書で呼ばれる。その意味でも、ここにいるのは現実の顔と固有名を持った個人ではない。ここにあるのは死者の場であると共に、これを読む私たちが生きている時代状況でもなかろうか。狂おしく切実にかけがえのなさを求めるふるまいは、ここには全く欠けている。 

 加えて、ここには太陽と鉄に象徴される若々しさや生命力はない。こんなものは「若さと未熟さのもたらした錯覚にすぎない」と平岡は言う。代わりに月と骨がある。そして、かつて明視と明察にこだわった人間であったことを、平岡は相対化する。物語を一望俯瞰的に眺める視点もなければ、全てを説明し尽くす明晰もない。時に推理小説を思わせるところがあるが、個々の事件の意味にかかずらうのは時間の無駄である。だから、これみよがしに言及される無頭人(アセファル)にこだわらない方が賢明かもしれない。

 考えてみれば、1970年に死者になった者は、インターネットやOSやDVDといった言葉や概念を知らないのは当然だ。彼の生きた時代にそれらはなかった。21世紀の「今」に平岡を置いてみると、一体何が見えるのか。そして、「不可能」なことが夜に行われたことは、それに言葉が伴っていたことは何を示唆しているのか。それは一人ひとりの読者が考えることである。
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EMI Takashi(ヒソカ)

Author:EMI Takashi(ヒソカ)
2005年に神経性疾患を発病し、体調記録をつけるためにブログを始めました。そして、読書能力の回復に伴って、本のレビューを書くようになったものの、最近は時間を作れず、やや休止中でございます。

 数年前、出版社で働くようになりました。仕事そのものが面白く、その都度自分で課題を見つけて解決するというプロセスが楽しい。
 このブログでは、「扉の開いた」言葉を求めつつ、この世界に生きる一人の人間としてキリスト教・世界に対して疑問に思うことを考察していきます。単に評論家的な批評をするのではなく、自分でできることを示せるような、自分の持ち場に立った言葉を紡いでいきたいです。

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