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罪の中にキリストは生まれたもうたのだ

 主イエスの誕生は時の政治権力と宗教権力から全く歓迎されていな​かった。

 それどころか、誕生した時、すでにヘロデの殺意に取り巻かれていた。

 イエスが生まれた直後、ベツレヘムと周辺一帯の2歳​以下の子供たちはヘロデの命令で虐殺されたとマタイ福音書2:1​6-18に記されている。教会のページェントでは決して明示的に​扱われることのない出来事だ。

 クリスマスは美しい物語ではない。

 いや、教会のページェントや​美しいクリスマスの讃美歌からクリスマスを知ろうとすると、クリスマスを誤解してしまう。

 クリスマスにおいてこそ、キリストの誕生においてこそ、人間の罪深さが最も露になる。ちなみに、もう一つ人間の罪深さが露になる時がある。十字架である。

 もしクリスマスをきらびやかなものとしてだけ描き、ラケルの嘆きをないものとするならば、それは聖書の語っているキリストの誕生物語とは何の関係のないものとなるだろう。

 光は到来する。しかし、闇が消えたわけではない。そのことを忘れてはならない。光は闇の中に到来し、そこで輝くのだ。

 キリストは最も弱く小さくされている人の側にいる。

 信仰深い人の側にいるのではない。権力ある者の側にいるのではない。自らを脅かすと考え、子ども虐殺する者の側にいるのではない。信仰の名の下に、人を迫害し、排斥し、殺す者の側にいるのではない。

 アブラハム、イサク、ヤコブ、モーセ、サムエル、ダビデ、イザヤ、エレミヤ、エゼキエル、母マリヤ、ヨハネの母エリサベツ、ペトロと他の弟子たち。

 彼らの中に「信仰」があったから、神に選ばれたのではない。

 彼らは、弱く小さくされ、虐げられ、軽んじられていたのだ。

 そこでこそ、神のからの力は最も強く働くのだ。

 キリストの誕生はきれいで美しい物語ではない。

 人間の罪の物語だ。これ以上ないほどに罪にまみれた人間の物語だ。

 しかし、同時にそれは神の物語だ。

 人間を闇にいるままに放っておかれない神の物語だ。
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EMI Takashi(ヒソカ)

Author:EMI Takashi(ヒソカ)
 2005年に神経性疾患を発病し、体調記録をつけるためにブログを始めました。そして、読書能力の回復に伴って、本のレビューを書くようになったものの、最近は時間を作れず、やや休止中でございます。

 2017年3月末に5年勤めた出版社を辞め、4月から同じ宗教法人の他部局で働くようになりました。仕事そのものは、相変わらず楽しい。

 このブログでは、「扉の開いた」言葉を求めつつ、この世界に生きる一人の人間として疑問に思うことを考察していきます。

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