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『服従の心理』

服従の心理服従の心理
(2008/11/19)
スタンレー ミルグラム

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 スタンレー・ミルグラム(山形浩生訳)『服従の心理』河出書房新社、2008(1974)

 「権威が命令すれば人は殺人さえ行うのか?」、本書はこの問いを検証した通称<アイヒマン実験>の報告書である。本実験は人間行動について不快だが重要なことを教えてくれる。

 実際の実験では、学習への罰(電撃)の影響を調べるという体裁を取る。そして、実験条件を様々に変えて、どういう時に人は権威に従って電撃を流し、あるいは反抗するのかを徹底的に検証する。「権威が命令するからといって、耐えられないくらいの電撃を与える人はいない、そんなの当たり前ではないか」と実験前に多くの人は予想する。しかし、この予想は物の見事に裏切られる。「権威に対する人のふるまい」が、「当たり前」ではなかったことがわかる。

 では、被害者が「電撃を加えることはやめてくれ」と嘆願しても罰を加え続ける被験者は羊の皮をかぶった狼なのか。けれども、本実験はそうではないことを示した。被験者は平然と残酷な仕打ちを行うのではない。彼らの多くは強い内心の葛藤とストレスを感じている。しかしそれでも、時に文句を言い、「もう実験には協力できない」と口で抗議しつつも、多くの人は被害者の懇願をあっさり無視して最高レベルの拷問さえ連続して加えてしまう。しかも、その「多くの人」とは条件にもよるが、総参加者の三分の二弱がそうした従順さを見せ、被害者に直接触れなくてはならない場合ですら、三割は最後まで被害者をいたぶり続けた。「これだけの割合の人が、ここまでの残酷さを示したということは、特殊な民族性や個人の歪んだ心性のせいにすることはできない」とミルグラムは論じ、「これは権威との関係の問題であり、権威に命じられると自分の責任や判断能力を放棄してしまうという、あらゆる人が持っている性向の反映なのである」と主張する。

 こうした実験結果と著者の議論を聴いても、なお人は「心構えさえしっかりしていれば反抗できるはずだ」と言うかもしれない。しかし、「心がけ」や「心構え」で権威に対して反抗できると考える人は、人間がある状況下で個人レベルの行動とは違った行動を取り得るという指摘を過小評価している。個人の道徳観の力は社会的な神話で思われているほど強いものではない。「道徳律の中で「汝、殺すなかれ」といった能書きはずいぶん高い位置を占めるが、人間の心理構造の中では、それに匹敵するほど不動の地位を占めているわけではない。新聞の見出しがちょっと変わり、徴兵局から電話があって、肩モールつき制服の人物から命令されるだけで、人々は平然と人を殺せるようになる」(p,19)。

 全くその通りだ。個人レベルでどれほど「いい人」でも、特定の権威構造の中に置かれれば、そして権威が「私が全ての責任を負う」と請け負うならば、暴力的な言辞を弄し、ためらいなく人を傷つける。服従の力は通常思っているよりもずっと強い。そして、実験が教えるように、言葉での抗議を越えて実際に権威者に「反抗」できる人はかなり少ない。

 このようなミルグラムの実験は衝撃的で、今なお考究に値する。しかし、この実験から約40年の時が経っているのを踏まえ、訳者は本質的な批判を行う。訳者は五つのポイントに絞って批判しているが、五番目の批判を取り上げよう。

 実験結果に基づいてミルグラムは、権威への服従が「人類の生存にとって危険な意味合いを持ち」、しかも有効な対応策がないと問題提起をして報告を終える。それに対して訳者は疑義を呈し、「常識的に対応できるのではないか」と主張する。

 ミルグラムは組織が発する非倫理的な命令に対して、個人が命がけで抵抗する状況を十分な検討もせずに想定している。しかし、そのように個人の英雄的な活躍に人類の生存を任せようという発想自体が非現実的であり、あまりに「権威vs個人」という発想にとらわれ過ぎた点で、ミルグラムも時代の限界に囚われていると訳者は指摘する。そして、訳者は対応策として、組織のやることには組織で対応できるとし、各種の監査や監督プロセス、あるいは市場原理や競合する他組織による相互監視を通じ、その権威や組織の活動が暴走しないように抑制させることは可能だと言う。

 訳者の批判には一理ある。権威の発する非倫理的命令に何でもかんでも個人で反抗するのは非現実的だ。しかし、その組織のチェック機能が十分に働いていなかったら?そういう事態が、まさに1940年代の日本やドイツで起こったのではなかっただろうか。あるいは、現代の学校で起きているいじめはどうだろうか。集団的な力に対してほとんど誰も味方のいない中で、組織の力も期待できない子供はどう抵抗すればいいのか。

 つまり、組織には組織で対応すればいいという訳者の解決策も限定的なものなのだ。やはり、個人が組織や集団に抵抗せざるを得ない状況はある。そこで、真に人間的な価値を体現した行動をどうしたら取れるのか、模索は続く。
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EMI Takashi(ヒソカ)

Author:EMI Takashi(ヒソカ)
2005年に神経性疾患を発病し、体調記録をつけるためにブログを始めました。そして、読書能力の回復に伴って、本のレビューを書くようになったものの、最近は時間を作れず、やや休止中でございます。

 数年前、出版社で働くようになりました。仕事そのものが面白く、その都度自分で課題を見つけて解決するというプロセスが楽しい。
 このブログでは、「扉の開いた」言葉を求めつつ、この世界に生きる一人の人間としてキリスト教・世界に対して疑問に思うことを考察していきます。単に評論家的な批評をするのではなく、自分でできることを示せるような、自分の持ち場に立った言葉を紡いでいきたいです。

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