Entries

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
http://takashidokoka.blog118.fc2.com/tb.php/1496-ea0fa9fc

トラックバック

コメント

コメントの投稿

コメントの投稿
管理者にだけ表示を許可する

『性犯罪被害とたたかうということ』

性犯罪被害とたたかうということ性犯罪被害とたたかうということ
(2010/10/20)
小林美佳

商品詳細を見る


 小林美佳『性犯罪被害とたたかうということ』朝日新聞出版、2010

 前著を出して以降のことを踏まえて著したのが本書である。なぜ新たに本を出したのか。性暴力犯罪の被害に遭うと、それまでと同じ社会なのに、感じ方や見え方が変わる。また被害にあって初めて情報の少なさに気づく。そして、性暴力被害者の生きる社会に思い及ぶ。それらを、著者の目を通すことによって、性暴力被害者の目線で、社会の性暴力に対する現状を見て、感じてほしい。それが本書出版を決意した理由だ。

 言うまでもなく、著者は性暴力被害の「専門家」ではなく「当事者」である。本書に記すことは、あくまでも自分が体験して考えたことであると、著者は自身の考えを常に相対化する。だから、安易に「こうすれば立ち直れる」ということも言わない。

 ところで、著者は本書のタイトルを『性暴力被害とたたかうということ』としたかったらしい。なぜ「性犯罪」ではなく「性暴力」なのか。それは、「性犯罪」という言い方が、立件されていない被害者を排除してしまうように思えたからだという。そうかといって、「犯罪」という言葉を避けて表現しようとしても、適当な言葉が見つからない。「性」は誰もが持っている、人間の根幹部分に関わるものだから「性」という部分をぼやかすことはできない。それを脅かす暴力行為がある。故に、「性暴力」にした。そこには、「暴力を受けた人たちに、暴力の被害者であることを自覚してほしい気持ちと、暴力をふるう側にも、周囲の人にも「性暴力」というものが存在することを知ってほしい。そして、その暴力がもたらす被害の現実を知ってもらえたら」という著者の願いが込められている。それ故、「性的ないたずら」という表現にも違和を表明する。同感である。加害者は子供なら覚えていないと思うのだろうが、とんでもない。成長した子供は行為の意味を知って愕然とし、自分と他者への信頼が損なわれてしまうのだ。「いたずら」という言葉で片付けることはできない。

 また、本書では2009年9月に裁判員制度下で初の性犯罪事件の法廷が開かれたことにも言及し、著者がそれを傍聴して感じた率直な疑問も記されている。「性」という人間の最もプライベートな部分に関わる犯罪が「性犯罪」である以上、これを他の犯罪と同様に扱うことには違和感を拭えないという著者の言葉が、性犯罪の特殊性を的確に要約している。

 「性暴力は被害者にとって、最大の「裏切り」であり、尊厳を踏みにじられる行為」である。また、「「人は人を平気で裏切ることができる」ということを知ってしまったことに、とても深く傷ついた」とも著者は言う。性暴力の本質を語る言葉だ。

 顔見知りによる犯行の場合、それは特に鮮明になる。強かんというと見知らぬ他人からと思われがちではあるが、統計上は、見知らぬ他人と同程度に顔見知りによる犯行がある。「恋人(だと思っていた人)に性暴力をふるわれる。それはまさしく裏切りであり、信頼していた人が、実は人の信頼を平気で踏みにじることのできる人間だったと知ること」なのだ。しかも、厄介なのは、「客観的に見れば性暴力であることは明白なのに、恋人の要求だからと、誰にも相談せず、我慢している人が実に多い」ということである。

 例えば、こういう被害体験もある。性暴力被害者の中には、出産の時に過去の記憶が突如よみがえり、子どもを産むことに強い抵抗を感じて、いきむことができなくなってしまうという例も少なくないという。性暴力が事件以後もいかに被害者を損なうかを、このことは教えてくれる。

 また、性暴力の被害者は女性とは限らない。本書でも記されているが、男性の被害者もいる。また、被害者は男性、加害者も男性ということもある。性暴力被害を打ち明ける上での困難さは男女問わずのしかかるものであろうが、男性について社会が抱く偏見や神話ゆえに、女性が直面するのとはまた微妙に異なる困難さが男性被害者にはあるだろう。そのことにもきちんと言及している。

 本書はおそらく、人によって受け止め方が異なるだろう。読みながら私は、性暴力加害者に対して強い憤りを感じた。同時に、私が男性であることに申し訳なさのようなものを感じた。仮に私自身の身近でこういうことが起きたら、心穏やかではなくなる。被害者によっては、長く苦しむ人もいるし、命を絶ってしまう人もいる。「世界も人も信じられるものだ」という、生きるのに必要な根源的な信頼を、性暴力は容赦なく粉砕する。しかも、被害者には何の落ち度もないにもかかわらず、苦しみ続けるのは被害者と周りの家族や友人なのだ。これを許しがたい暴力と言わずして何と言おう。

 語り口は客観的で冷静で、わかりやすい。しかし、語られていることは重い。だから、しっかり受け止めたいと思うし、何度も読み返すに足る本だと思う。
関連記事
スポンサーサイト
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
http://takashidokoka.blog118.fc2.com/tb.php/1496-ea0fa9fc

トラックバック

コメント

コメントの投稿

コメントの投稿
管理者にだけ表示を許可する

Appendix

プロフィール

EMI Takashi(ヒソカ)

Author:EMI Takashi(ヒソカ)
2005年に神経性疾患を発病し、体調記録をつけるためにブログを始めました。そして、読書能力の回復に伴って、本のレビューを書くようになったものの、最近は時間を作れず、やや休止中でございます。

 数年前、出版社で働くようになりました。仕事そのものが面白く、その都度自分で課題を見つけて解決するというプロセスが楽しい。
 このブログでは、「扉の開いた」言葉を求めつつ、この世界に生きる一人の人間としてキリスト教・世界に対して疑問に思うことを考察していきます。単に評論家的な批評をするのではなく、自分でできることを示せるような、自分の持ち場に立った言葉を紡いでいきたいです。

最新トラックバック

月別アーカイブ

カレンダー

09 | 2017/10 | 11
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31 - - - -

検索フォーム

ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード

QR

メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。