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聖闘士星矢と私の信仰観

 おそらく、私のベースにある信仰観は、聖闘士星矢の漫画・アニメで培われたものだと思います。

 この作品の主人公たちは10代前半で、本来なら青春を謳歌しようとする年齢です。

 それなのに、自分のことそっちのけで、世界と一人の女性(女神アテナ)のために戦って、ボロボロに傷つき、何度倒れても立ち上がる。

 そうかといって、「俺たちは絶対正しい」という狂信的なところは全くない。

 例えば、アンドロメダ瞬は、冥界でハーデスの部下である天英星バルロンのルネから自分の犯してきた罪を指摘され、「僕のしてきたことは悪だったのかもしれない」と悩みます。それは仲間のペガサス星矢も同様です。

 むしろ狂信的なのは、彼らが戦う相手です。

 主人公たちの「敵」こそ、「私たちは正しいことをしている」という信憑を露ほども疑わない。

 けれども、そんな「敵」に対して、「地上を滅ぼせば永遠の楽園が来る。そんなのおかしい。間違っている」という意味のことを主人公たちは言います。

 主人公たちは、アテナを信じている。アテナこそが地上に愛と正義をもたらすと信じている。けれども、彼らは自分たちの正しさを、狂信的に信じているわけではありません。

 そして、主人公たちは常に弱い。

 彼らは戦いを経る中で強くなっていきますが、基本的に敵側が圧倒的に強い。「それがバトル漫画を盛り上げる仕掛け」ということはとりあえず措く。

 弱いけれど、誰かのために戦って傷つく、仲間と共に傷つく。決して諦めない。そこに私は繰り返し励ましを受けてきたように思います。

 おそらく、それだからこそ、「選びとは有責性の過剰である」とか「責任にはもうこれで十分というのはない」という哲学者エマニュエル・レヴィナスの言う「困難な自由」の意味がストンと腹に落ちてきたのかなという気がします。

 私はレヴィナスを理詰めで理解しているわけではありません。

 理詰めで理解するには、私には哲学の知識の多くが欠けています。

 身体的に、レヴィナスの言葉の運びに自分の心身を同調させていくように「呑み込んできた」、それだけです。

 私の信仰観あるいは信仰理解についての話をしているところでした。

 「神にすがる」という表現が、私自身にあまりピンとこないのは、私の根底にある信仰観が「神仏にすがる」というものではないからなのでしょう。

 むしろ、聖闘士たちの生き様がそうであるように、「信仰とはたたかいである」(ジュリアン・グリーン)という言葉の方が腑に落ちます。

 自分のことそっちのけで、アテナのために傷つくというのは、主人公たち青銅聖闘士たちがアテナのロボットであることを意味しません。

 彼らは、一人ひとり悩みと悲しみと怒りと喜びを感じる人間です。

 聖闘士になった経緯がどうあれ、彼らは自分で考えて、なおアテナのために戦う聖闘士である自分を選びとっていきます。

 そこには、彼らの主体性がある。

 常人を超えた力を持つ聖闘士でありながら、同時に一人の人間として、弱さを抱え、傷つき、友のために戦い、あるいは誰かを守る、そこで彼らが感じる悲しみや怒りや喜びに共感するからこそ、この作品は今にいたるまで読み継がれてきているのでしょう。

 強大な敵に対しても諦めずに、小宇宙(コスモ)を燃やし続ける聖闘士に教えられることは今でもある、というのは幸せなことだと思います。

 これは私の信仰観です。おそらく大多数の同意は得られないでしょう。ただ、自分で整理するために記しました。
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プロフィール

EMI Takashi(ヒソカ)

Author:EMI Takashi(ヒソカ)
2005年に神経性疾患を発病し、体調記録をつけるためにブログを始めました。そして、読書能力の回復に伴って、本のレビューを書くようになったものの、最近は時間を作れず、やや休止中でございます。

 数年前、出版社で働くようになりました。仕事そのものが面白く、その都度自分で課題を見つけて解決するというプロセスが楽しい。
 このブログでは、「扉の開いた」言葉を求めつつ、この世界に生きる一人の人間としてキリスト教・世界に対して疑問に思うことを考察していきます。単に評論家的な批評をするのではなく、自分でできることを示せるような、自分の持ち場に立った言葉を紡いでいきたいです。

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