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『沈黙を破る 元イスラエル軍将兵が語る”占領”』

沈黙を破る―元イスラエル軍将兵が語る“占領”沈黙を破る―元イスラエル軍将兵が語る“占領”
(2008/05/09)
土井 敏邦

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 土井敏邦『沈黙を破る 元イスラエル軍将兵が語る”占領”』岩波書店、2008

 「沈黙を破る」(Breaking The Silence)、それは元イスラエル軍将兵の青年たちのグループである。元将兵たちは、占領地のパレスチナ人に対して自分たちが行ってきた暴力的な行動を、イスラエル社会の「沈黙」を破って語り出した。彼らがそうするのは、占領地で兵役に就くことによって、あらゆる将兵たちが”道徳”を失うという代価を払っていることに社会が気付いてほしいからだ。占領地で非道徳的なことを行った将兵は除隊しても、入隊前の人間に戻るわけではない。ちょっとしたことで暴力的な行動に走ってしまう。車の運転をしている時、バーでちょっと人とぶつかった時に暴力的にふるまう。

 このように除隊した青年が社会に戻ってくることによってイスラエル社会は病んでしまっている。しかし、社会はそのことに気付こうとしない。占領地で行われていることにも、青年たちが苦しんでいることにも目と耳を閉ざし、「やらなければこちらがやられる」とパレスチナ人への暴行を正当化する。青年たちは、そうした社会のあり方に、危機感を抱いている。それが、彼らが自らの怪物性を証言するという辛い務めを行う動機だ。

 強調しなければいけないのは、青年たちは「戦争」をしに行っているのではないということだ。彼らは、イスラエルの占領地に行って、検問や監視をしている。本書にも収められている、ドタンという青年の両親は息子の証言に耳を貸さず、「戦争なのだから多少の暴行は止むを得ない」と言う。しかし、それは考え違いをしている。息子は戦場に行っているのではない。占領地に行っているのだ。

 これらの証言を日本に紹介する著者は、パレスチナ寄りの立場である。中立ではない。しかし、単に被害者の証言だけを紹介するのでは、パレスチナ問題は見えてこない。だから、加害者側の証言も取り上げることにしたのだ。両方の立場から語られることを聞いて初めて、パレスチナ問題が立体的に見えてくる。

 とはいえ、パレスチナのことは遠いと考える人が日本にはいるかもしれない。そこに、著者が元将兵の証言を日本に紹介する意味がある。彼らの証言は日本社会を見る鏡なのだ。
イスラエルと日本の社会は似ている。どのように似ているのか。

 「大概のイスラエル人は占領地でパレスチナ人に行われていることなど気にもかけないし、聞いても信じないのです」、とノアム・ハユット元将校は証言する。

 同じことが、多くの日本人と福島県民や沖縄県民や少数民族との関係に当てはまるように思えた。震災から数カ月経過してからのメディアの報道や周囲の発言を聞くと、同じ日本人でありながら、多くの人は福島県民・沖縄県民を気にかけていないように思えることが何度となくあった。そのことに呑み込めないものを感じた。

 そのように己の加害者性に無自覚という点でイスラエルと日本は似ている。ただ、イスラエルでは、自国の加害者性を元兵士が証言しても、社会はそれを受け止める健全さを残している。反対に、日本はそういう社会ではない。どちらも病んだ社会だが、日本の方が一層治癒能力に乏しいと言える。本書を読んでそう思わざるを得なかった。

 「過去に目を閉ざす者は結局のところ現在にも盲目となります。非人間的な行為を心に刻もうとしない者は、またそうした危険に陥りやすいのです」というリヒャルト・フォン・ヴァイツゼッカー元西独大統領の言葉を私は思い出した。日本は、戦時中の非道を心に刻んでこなかった。自らの加害者性を直視しなかった心性は今にも引き継がれている。それは震災以後にもあちこちで見られる。反対に、イスラエルの元将兵の青年たちは己の加害者性・怪物性を直視することを引き受けた。そうしなければ、自分自身だけでなく国がずっと病んだままであるからだ。

 「沈黙を破る」の青年たちは私とほぼ同世代である。物理的には遠い国のことでも、自分と無関係な話には思えなかった。彼らのために私が直接できることはない。しかし、彼らが辛い務めを果たしているように、私も日本に生きる者として、この国の負の側面から逃げないでいたい。彼らの証言からこの私自身が問われているように感じた。
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EMI Takashi(ヒソカ)

Author:EMI Takashi(ヒソカ)
2005年に神経性疾患を発病し、体調記録をつけるためにブログを始めました。そして、読書能力の回復に伴って、本のレビューを書くようになったものの、最近は時間を作れず、やや休止中でございます。

 数年前、出版社で働くようになりました。仕事そのものが面白く、その都度自分で課題を見つけて解決するというプロセスが楽しい。
 このブログでは、「扉の開いた」言葉を求めつつ、この世界に生きる一人の人間としてキリスト教・世界に対して疑問に思うことを考察していきます。単に評論家的な批評をするのではなく、自分でできることを示せるような、自分の持ち場に立った言葉を紡いでいきたいです。

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