Entries

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
http://takashidokoka.blog118.fc2.com/tb.php/1696-14162aaf

トラックバック

コメント

コメントの投稿

コメントの投稿
管理者にだけ表示を許可する

『もしも、私があなただったら』

もしも、私があなただったら (光文社文庫)もしも、私があなただったら (光文社文庫)
(2008/07/10)
白石 一文

商品詳細を見る


 白石一文『もしも、私があなただったら』光文社文庫、2008

 本書は、『どれくらいの愛情』と同時期に書かれた、博多を舞台にした一連の作品の一つである。『どれくらいの愛情』に収録された作品との内容的なつながりはないが、深いところで通底しているものがある。それは、「目に見えないものの確かさ」である。

 作者のいいところは、「目に見えないものの確かさ」を、「神」とか「宗教性」といった、抽象的な言葉にしないで、具体的な人間の関わりにおいて考えているところである。そしてまた、白石作品は、常に「いかに生きるか」という真摯な課題を突きつけてくる。緻密に組み込まれたストーリーに引き込まれるうちに、読者は否応なく、登場人物と共に自問自答せざるを得なくなる。

 本書の主人公は、実在の事件をモデルにしたであろう巨大企業・明治化成を辞職し、故郷の博多で小さなバーを経営している藤川啓吾である。そこに元同僚・神代の妻美奈が突然現れ、東京での結婚生活をリセットし、博多での第二の人生を歩みだそうとする。神代自身は企業の粉飾決算に主導的に関わったために逮捕される。しかし、神代夫婦の間にはずっと以前から、心の通い合いがなく、夫の逮捕にも美奈は頓着しない。そして、神代を案じているのは年の離れた別の女性である。粉飾のおかしさに気付きながらも神代は「会社を維持する」ために、粉飾を繰り返す。反対に啓吾は、それに納得できず、会社を辞める。

 売上や組織を守るためなら多少の矛盾を感じても目を瞑るのが「大人」という考えからすれば、啓吾のような個人の倫理観を愚直に貫き通す生き方は「空気の読めない人」とみなされてしまうだろう。そんな彼が選んだのは、故郷に帰って小さな商売を始めるという自分の身の丈に合った生き方だった。規模やダイナミズムには欠けるが、自分に正直に、常に相手の顔が見える距離感で続けていくシンプルで根源的な仕事の形態である。

 とはいえ、離婚した啓吾もさみしさを募らせていく。それに慣れていくものだと言う彼に対して、美奈は「さみしさや孤独は人間を少しずつ弱らせていく味も色もない毒薬」と言う。けれども、啓吾は美奈と過ごすうちに、自分がかつて感じた無根拠な焦燥感やさみしさがどこにもないのを感じる。そして、「さみしさや孤独が味も色もない毒薬であるならば、こんなふうに些細な縁であっても男と女が共に過ごす時間は、その毒を解毒する特効薬に違いない」、啓吾はそのように考える。小さな関わりかもしれないが、私はそのことにホッとさせられた。

 啓吾が美奈を受け入れたのは、「もしも、自分が彼女の立場にいたら決して彼女を放っておいたりしない」と考えたからだ。「人が愛する人に何かするというのは、<もしも、私があなただったら、こうしてほしい>と願うことをすることでしかないのだ」、心が通い合うとはそういうことだと啓吾は考える。

 心の通い合いというのは目に見えない。それはもしかすると一方が他方に対して抱く錯覚かもしれない。それでも、自分が相手のためにしたいと思うことが、そのまま相手が自分に対してそうしたいと願うことと重なるとき、確かにその二人の心は通い合っていると言えるように私は思う。それは、あまりに物事が早く動き、人間が数値で語られ、固有の名前と顔を持った一人一人の人間が見えなくなる現代社会において、顧みられることの少ないことかもしれない。けれども、だからこそ、立ち止まって考えてみる意味のあることだと思う。

 『どれくらいの愛情』の「あとがき」で作者はこう書いていた、「この世界の完全性というものは、目に見えるものの不確かさの中に目に見えないものの確かさが隠され、目に見えないものの不確かさによって、目に見えるものの確かさが保証されることで実に巧妙精緻に成立している」と。そして、「こんなにひどく見える世界ではあるが、それでも、ここは完璧な世界なのだ」と、世界の完全性を所与のものとして受け入れた時、私たちは本当に知らねばならないたった一つの問いに向かって、限られた人生の中でその答えを見出すための旅に出発しなくてはならないと続ける。

 その唯一の問いとは、「一体、この私は何者なのだろうか?」という問いである。そして、この人間にのみ与えられた難問を解くには、私たちは目に見えるものだけを追いかけていては駄目だと作者は書いていた。

 本書が、この難問を解く一助となり、また立ち止まって、自分の生き方を問うよすがとなればと思う。
関連記事
スポンサーサイト
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
http://takashidokoka.blog118.fc2.com/tb.php/1696-14162aaf

トラックバック

コメント

コメントの投稿

コメントの投稿
管理者にだけ表示を許可する

Appendix

プロフィール

EMI Takashi(ヒソカ)

Author:EMI Takashi(ヒソカ)
2005年に神経性疾患を発病し、体調記録をつけるためにブログを始めました。そして、読書能力の回復に伴って、本のレビューを書くようになったものの、最近は時間を作れず、やや休止中でございます。

 数年前、出版社で働くようになりました。仕事そのものが面白く、その都度自分で課題を見つけて解決するというプロセスが楽しい。
 このブログでは、「扉の開いた」言葉を求めつつ、この世界に生きる一人の人間としてキリスト教・世界に対して疑問に思うことを考察していきます。単に評論家的な批評をするのではなく、自分でできることを示せるような、自分の持ち場に立った言葉を紡いでいきたいです。

最新トラックバック

月別アーカイブ

カレンダー

07 | 2017/08 | 09
- - 1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31 - -

検索フォーム

ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード

QR

メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。