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『翼』

翼 (テーマ競作小説「死様」)翼 (テーマ競作小説「死様」)
(2011/06/18)
白石一文

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 白石一文『翼』光文社、2011

 本作は、運命の人と出会ったと確信する話である。但し、確信する側ではなく、確信された側から描いているところが秀逸だ。

 ところで、誰かを好きになるのと、誰かを愛するのと、誰かを大切にするのと、誰かと共に生きるというのは、相互に重なるようでいて、多分、別のことなのではないか、と本作を読みながら考えた。並行して読んでいた本にこうあった、「好きになることと信じることはまったく違う。愛に近づくのは、後者である。誰かを好きなときには、その人物を好きなように見ている。だが、信じることは好悪の彼方に生まれる」(若松英輔『魂にふれる』トランスビュー、2012、p,88)と。

 主人公の田宮里江子は、恋人もいる男性・長谷川岳志から20代の頃、突然プロポーズされた。交際の申し込みもなく。岳志は里江子が「運命の人」だと確信しており、何度断られても、その確信はいささかも揺るがない。それは、彼女と恋愛したいとか結婚したいということではない。彼女と共に生きるということだ。それこそが、この無慈悲な世界を生き得るものにしてくれる、そう岳志は考える。岳志は彼女を好きになるに先だって、彼女を信じている。

 岳志は運命の相手と出会うだけでは駄目だと言う。「最も大事なことは、この人が運命の相手だと決断することだ。そう決める覚悟を持ったときに、初めてその相手は真実の運命の人になる」と言う。だからこそ、岳志は里江子に「きみだけは何があっても僕は赦そう」と言うのだろう。それは好き嫌いの次元に留まっていては言えない言葉だ。というのも、「好きなとき、人は裏切られるのではないかといつも不安にかられている」(同書)からで、決して「何があっても赦す」とは言えないからだ。そして、里江子はいみじくもこう思う、「彼は私と恋をしたかったわけでも、愛し合いたかったわけでもないのかもしれない。彼は、私と一生を共にしたかったのだ。彼はただ私と共に生き、私と共に死にたかっただけなのだ」と。ここにおいて、信じることと愛することは一つになる。

 帯文には「究極の恋愛小説」と銘打ってある。しかし、これは岳志と里江子とのやり取りが見せる射程を狭くしてしまうものだと思う。もちろん、「恋愛小説」としても読める。他方で、暴力と差別と死の荒れ狂うこの世界で、なおも人を生き得るものにするものは何か、伴侶が死んでもなお人を生きていくものにするものを問い、考えている小説としても読める。それは白石作品に一貫して通底しているテーマでもある。

 私が誰かを好きな時、私には不安がある。嫌われるのではないか、裏切られるのではないか。しかし、「この人こそ運命の人だ」と決断し覚悟した時、「彼女なら信じられる」と確信した時、私は好悪の次元を超えて、人が生き得る地平へと跳躍するのだ。そう思わされた作品である。是非一読されたい。
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EMI Takashi(ヒソカ)

Author:EMI Takashi(ヒソカ)
2005年に神経性疾患を発病し、体調記録をつけるためにブログを始めました。そして、読書能力の回復に伴って、本のレビューを書くようになったものの、最近は時間を作れず、やや休止中でございます。

 数年前、出版社で働くようになりました。仕事そのものが面白く、その都度自分で課題を見つけて解決するというプロセスが楽しい。
 このブログでは、「扉の開いた」言葉を求めつつ、この世界に生きる一人の人間としてキリスト教・世界に対して疑問に思うことを考察していきます。単に評論家的な批評をするのではなく、自分でできることを示せるような、自分の持ち場に立った言葉を紡いでいきたいです。

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