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『あられもない祈り』

あられもない祈りあられもない祈り
(2010/05/13)
島本 理生

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 島本理生『あられもない祈り』河出書房新社、2010

 作者の本を読んだのはこれで2冊目である。

 読み終わってまず思うのは、恋愛とはうまくいかないものなのかもしれない、ということだ。と同時に、それでも、「うまくいってほしい」と祈らずにはいられない。この作品の「私」と「あなた」のもがきに、似たような苦闘の最中にある人たちのために、私はそう祈らずにいられなくなる。

 「あられもない祈り」とは何だろう。敢えて言い換えれば、それは、素直な、ひたむきな、切実なといった言葉を伴った「あられもなさ」ではないのか。あるいは、真摯さとも言えようか。この本は、あられもない祈りを静かに祈り続ける魂の再生を語る。作品に一貫して流れているのは、この希望を希求する切実な祈りである。

 そう、この本からは、祈りが聞こえてくる。それはヒロインの祈りであり、「あなた」の祈りであり、多分作者の祈りなのだ。

 傷を抱えた男女が、手探りで、たどたどしくも、再生に向おうとする歩みを、繊細に、静謐に描く作者は、多分稀有な人だろう。即座の効能を求める現代からすれば、時間のかかる営みを丁寧に描こうとするふるまい自体、もどかしいというより、面倒に捉えられるだろう。しかし、作者はもどかしさ、たどたどしさ、うまくいかなさ、どうしようもなさを、静かに、丁寧に描く。それは、「うまくいってほしい」という深い祈りがあるからだ。また、そこにとても大事で尊いものがあるからだ。そして、そのことから、なぜか私は、作者が人生の悲哀を深く知った人だと思えてならないのだ。

 「祈るとは、沈黙して何者かの声を聴くことである」という祈りの伝統がある。それに倣えば、作者の本を読む時もまた、書かれた言葉と共に、そこに伏流する沈黙のコトバを聴こうとするのが、適切な態度のように私は思う。

 本質的なものを確かに見出す過程で、人は無数の非本質的なものにかかずらい、時に自他を傷つける。「私」の再生の歩みにおいても、そういうことはあった。そして、自他を傷つけることがあっても、そのどの過程をも飛ばすことはできなかった。その過程で、時に弱い自分に向き合わねばならないこともある。しかし、それを経験することなしに、再生は始まらない。そのことも、静かな声で語られているように思うのだ。
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プロフィール

EMI Takashi(ヒソカ)

Author:EMI Takashi(ヒソカ)
2005年に神経性疾患を発病し、体調記録をつけるためにブログを始めました。そして、読書能力の回復に伴って、本のレビューを書くようになったものの、最近は時間を作れず、やや休止中でございます。

 数年前、出版社で働くようになりました。仕事そのものが面白く、その都度自分で課題を見つけて解決するというプロセスが楽しい。
 このブログでは、「扉の開いた」言葉を求めつつ、この世界に生きる一人の人間としてキリスト教・世界に対して疑問に思うことを考察していきます。単に評論家的な批評をするのではなく、自分でできることを示せるような、自分の持ち場に立った言葉を紡いでいきたいです。

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