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ウナムーノあるいは執行草舟との出会い

 執行草舟の『「憧れ」の思想』PHP研究所(2017)が届いた。少しだけ読んだが、熾烈な炎の人、それが著者の印象である。長い人生の中で浄化され、精髄だけが残ったような、静謐な火である。

 数日前まで、執行草舟の名は全く知らなかった。5月31日(木)、仕事の帰りに、久しぶりに寄った本屋の新刊棚で、ウナムーノをめぐる二冊の本を手にとった。まず目に留まったのが、ウナムーノの詩集『ベラスケスのキリスト』(法政大学出版局叢書ウニベルシタス)である。そこに、監訳者として執行氏の名前があったが、驚かされたのは、ウナムーノが詩集、それも、ベラスケスの「十字架上のキリスト」に観照されて紡いだ詩集を残していたことであった。

 スペインの思想家・詩人ミゲール・デ・ウナムーノは『キリスト教の苦悶』(法政大学出版局)と、ホアン・マシア神父の『ドン・キホーテの死生観 スペインの思想家ミゲル・デ・ウナムーノ』(教友社)が家にあるきりで、そう熱心には読んでこなかった。ウナムーノを高く評価したフランスのカトリック哲学者ガブルエル・マルセルを読む人は、現代ではあまりいないだろうが、ウナムーノを読む人が今でもいることに驚いた。世の中には、まだまだ知らないことが多い。

 詩集『ベラスケスのキリスト』の横に、佐々木孝『情熱の哲学 ウナムーノと「生」の闘い』(法政大学出版局)が置いてあった。迷わず、二冊とも買った。

 『情熱の哲学』の「著者まえがき」に、この本が1976年に講談社現代新書の『ドン・キホーテの哲学 ウナムーノの思想と生涯』に四つの論文を合わせて、一書として復刊したものであることが書いてある。復刊を強く後押しした人として、執行草舟氏の名前が深い感謝と尊敬の念を込めて、記されている。「実業家にして若い人たちから絶大な信望を得る著述家、同時に戸嶋靖昌記念館 館長でもあられる執行草舟氏との出会いがあった。」

 多数の著述をした実業家という存在に、私はあることがあって、どうしても警戒の眼差しを抱いてしまう。しかし、アマゾンで執行氏の本のタイトルを見て、また『ベラスケスのキリスト』の監訳者まえがきの文章を読んで、「この人の言葉を読んでみたい」と強く感じた。

 「ウナムーノの著作群を、私は死ぬほど読んだ。ウナムーノを読むことは、自己が生きることよりも重要だった。それが、私の青春だった。ウナムーノはその思想の中に、自己の生命を投げ捨てている。それを読むことによって、私は自己のもつ卑しさと対面していたのだ。それは戦いであった。」

 これは文字通り受け取ってよい、執行氏の真摯な告白である。自己の生命を投げ捨てるほどの戦いをしたものだからこそ、ウナムーノの境涯を精確に看破できたのではなかったか。

 「「何ものか」を乗り越えたとき、我々は新しい希望と邂逅する。死ぬほどの苦しみが、本当の故郷へ我々を誘ってくれる。」

 力に溢れた、さわやかな、励ましの言葉であるように感じられた。そして、『根源へ』(講談社、2013)と『「憧れ」の思想』(PHP研究所)を求め、今日、届いた。『「憧れ」の思想』の冒頭に、ゲーテの『ヴィルヘルム・マイスターの修業時代』の一節が引かれている。

 「ただ憧れを知る人のみが、わが悩みを知り給う」

 オーストリア生まれの哲学者・神秘家のルドルフ・シュタイナーを思い出した。シュタイナーは多くの著述をするだけでなく、教育にも深く関わり、藝術の発展にも大きく寄与した、多面的な活動をした人である。もしかしたら、執行氏からしたら、シュタイナーと共振する面があるという感想は、迷惑かもしれない。しかし、そうであろうとなかろうと、自己の道程を誠実かつ率直に、血と肉でもって語ろうとするその姿勢に、深く打たれた。

 ここ数週間、何とも言いがたい、もがきと苦悩の最中にあり、それは今も止んでいない。傍目には、真面目に職務に励み、教会生活を送っているように見えただろうし、実際、そのいずれにも手を抜いたつもりはない。だが、それでも、魂の底で感じる、「何かを見失っている」という感覚は拭い難いものがあった。

 振り返ってみれば、迷いを抱えている最中、本屋に行くと、その来歴をよく知らない人の本に招かれ、読み、人生の歩みが変わっていくことが何度かあった。大学生の頃には、エマニュエル・レヴィナスとヴラディミール・ジャンケレヴィッチに出会った。教会で失意の経験をした後、若松英輔の『魂にふれる』『イエス伝』を読んで、求めるものを見つけたように感じたものだった。他にもいくつかあるが、今は、執行草舟であり、ウナムーノであり、オルテガであり、マルセルであるような気がする。

 この人たちを読むことが、自分をどこへ連れていくのか、知らない。だが、本が強く招いている。応える以外、なすべきことはない。読む、それだけだ。血で書かれたものは、血で読まなくてはならない。
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プロフィール

EMI Takashi(ヒソカ)

Author:EMI Takashi(ヒソカ)
 2005年に神経性疾患を発病し、体調記録をつけるためにブログを始めました。そして、読書能力の回復に伴って、本のレビューを書くようになったものの、最近は時間を作れず、やや休止中でございます。

 2017年3月末に5年勤めた出版社を辞め、4月から同じ宗教法人の他部局で働くようになりました。仕事そのものは、相変わらず楽しい。

 このブログでは、「扉の開いた」言葉を求めつつ、この世界に生きる一人の人間として疑問に思うことを考察していきます。

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