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イエスはどこにいるか

 キリスト者は、毎週日曜日、教会に行く。キリスト教的には、神によって、礼拝に招かれているから行くという考え方をする。まず、己の意思に先立つ働きがある。

 しかし、常に抱かれていて、いまだにはっきりとした解決を見ない問いがある。毎週、教会に行って、そこで聖書とその説き明かしを聞くのだが、イエスはそんなことをしたのだろうか。虚心に福音書を読めば、神殿の外にいる人々のところに自分から出向き、人々と交わった彼の姿がそこかしこにある。教会で、神が待っているというのは、本当なのだろうか。

 「私のイエスは、「教会」には留まらない。むしろ、そこに行くことをためらう人のそばに寄り添っている。福音書に描かれているイエスは、神殿で人々を待ったのではない。彼の方から人々のいるところへ出向いていくのである。」(若松英輔『イエス伝』中央公論新社、2015)
 
 毎週日曜日に教会に行って、聖書を聞くことの起源が聖書のどこにあるのかとか、どのようにこれが整えられてきたかというのは、さしあたってどうでもよい。それよりも切実なのは、イエスに出会えるところはどこなのか、である。

 『イエス伝』は、「中央公論」誌上で連載されたものに加筆され、書籍化された。連載当時、発売日には、朝早くから営業している書店に行って購入し、貪るようにくり返し読んだ。無数の問いを抱いて歩んだ日々が、むなしく過ぎ去ることはなかったと知った日々だった。「教会」の外に出なければ、コトバに触れることはなく、もしかしたら、信仰を失っていたかもわからない。

 イエスに、あの方に出会いたいという思いさえあれば、そこに彼は寄り添う。その素朴な思いが、初めにあったことを、この書物は、やわらかな筆致で思い出させてくれる。まさにあの時期、コトバを切実に求めていた。
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プロフィール

EMI Takashi(ヒソカ)

Author:EMI Takashi(ヒソカ)
 2005年に神経性疾患を発病し、体調記録をつけるためにブログを始めました。そして、読書能力の回復に伴って、本のレビューを書くようになったものの、最近は時間を作れず、やや休止中でございます。

 2017年3月末に5年勤めた出版社を辞め、4月から同じ宗教法人の他部局で働くようになりました。仕事そのものは、相変わらず楽しい。

 このブログでは、「扉の開いた」言葉を求めつつ、この世界に生きる一人の人間として疑問に思うことを考察していきます。

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